村社 大磯神社
Contents
概 要
社 号 村社 大磯神社
読み おおぞ
『国司文書 但馬故事記』 「物部大石神社」
所在地 兵庫県豊岡市大磯町10-25
旧地名 但馬国城崎郡城崎郷大石村
御祭神 素盞男命(スサノオノミコト)
『国司文書別記 城崎郡郷名記抄』には、物部大石宿祢命
例祭日
社格等
式外社
近代社格制度 旧村社
創建
本殿様式
境内摂社(祭神) 稲荷社
一口メモ
国道312号線を北へ、旧円山川河川を越える京口交差点の信号の右手の道の奥南沿いだが、一方通行で車は進入禁止になっているので、次の信号を右折し川沿いに進む。
歴史・由緒等
由 緒
創立年月不詳沖野與治兵衛なる者の倅(せがれ)、與市兵衛が深坂神社を三分して大磯神社、戸牧神社を別に創立すという。されども本社は元来與市兵衛個人の地主神なりしを領主杉原氏時代に改めて村の氏神となしたるものなるべし。
明治6年(1873)10月村社に列せらる。
-「兵庫県神社庁」-
『国司文書別記 第五巻・城崎郡郷名記抄』
大石村は大磯なり。大石宿祢在住の地なり。故に大磯を改めて大石という。物部大石神社はここにあり。物部大石宿祢命を祀る。
物部連大石宿祢は、仁徳天皇の御世、西刀宿祢命が黄沼前郡司 大海部彦命の旨を奉じ、西刀水門の浚渫切開中、事に従い、よく大石を運ぶ。故に朝廷に奉し、これを賞す。天皇詔して、大石宿祢の姓を賜うという。
大石宿祢に二子あり。兄彦(えひこ)・弟彦(おとひこ)という。兄彦の後を大石宿祢といい、弟彦の後を神力直(かんちからのあたひ)*という。その子孫いづれも大力あり。(*神部直が正しい)
文部天皇の御世、大宝元年夏五月、大石宿祢兄彦の裔 国彦は、但馬国司 檪井臣(いちいのおみ)春日麿の召しにより、国府の遷り、池堀りの業に従事す。故にまた上石宿祢(あげしのすくね)という。気多郡上石村は、上石宿祢在住の地なり。
(今の上石・池上・堀)
境内・社叢
鳥居扁額 二の鳥居(中鳥居)
手水舎 境内
拝殿・本殿 拝殿扁額
境内社 稲荷社
地名・地誌
大磯(おおぞ)
『国司文書別記 城崎郡名記抄』
黄沼前郷(古語は杵努佐伎、今は城崎郷)
黄沼前郷は古の黄沼海(キヌマウミ)なり。この故に名づく。昔は上(かみ)、塩津大磯より、下(しも)、三島に至るの間一帯の入江なり。これを黄沼海という。黄沼は泥の水湛*なり。故に黃沼というなり。(*湛水は水をたたえること。つまり沼地。)
黄沼前島は、黄沼島・赤石島・鴨居島・結浦島・鳥島・三島・小島・小江・渚浦・干磯・打水浦・大渓島・茂々島・戸浦など、その中にあり。
天火明命(あめのほあかりのみこと)開闢(かいびゃく)の時、すでに所々干潟を生じ、浜をなす。あるいは地震・山崩れにて島湧き出で、草木青々の萠(きざ)しを含む。天火明命 黄沼前を開き、墾田となす。
故に天火明命 黄沼前島に鎮座す。小田井県神これなり。
降りて、稲年饒穂命(いきしにぎほのみこと)・味饒田命(うましにぎたのみこと)・佐努命(さぬのみこと)あいついで西岸を開く。
与佐伎命は、浮橋をもって東岸に渡り、鶴居岳を開き、墾田となす。故に世開神という。
鶴居岳は、また鵠鳴山*と名づく。鴻鳴き集まる故の名なり。黄沼崎島はいわゆる豊岡原なり。(*鵠 くぐい。白鳥の古語)
立野村・女代村(今の九日市)・深坂(みさか)村(小尾崎村、今の三坂)・永井村・鳥迷羅(とりみはり・今の戸牧)・大石村(今の大磯)
『校補 但馬考』
城崎郷(キノサキノゴウ)
今の村数
佐野・九日(ココノカ)・妙楽寺・戸牧(トベラ)・大磯(オホゾ)・小尾崎・豊岡・野田・新屋敷・一日市・下陰・上陰・高屋・六地蔵
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